想いを遣る

相手のことを明らかにしよう、わかろうとするほど溝が明らかになることはある。
人の世界は、ある程度の曖昧さのうえで、うまくいくという面も多々ある。


確固たるものが、揺らぎやすいものに支えられている、ということはこの世界に多い。


conflictするのは、そもそも目的が違うのに、議論しあってしまうから。各々に整合性はある。どちらも存在を認められるはず。
でも、人間は、自分のidentityを脅かすものに敏感だ(こういう潜在性質って、どうしようもない。心理学を学んだ一人として、見えなくても配慮したいと思う)。だから互いに、否定されたように思い、嫌悪を感じて、時に排斥しあう。


「だから深く立ち入らないこと」
この方針に、「そんなんじゃ理解しあえないよ!」とか、「なんて冷たい!」という意見もあるだろう。


そういう君は、違う見方を呈示する人に対して、避けたり拗ねたりすることがなかったか考えてみてほしい。
その時どんなにこちらが悲しいか考えてみてほしい。


僕は他の立場を理解することをあきらめたわけじゃない。
「思いやること」はできる。
僕とは違う見方だけど、彼女はこういう点が面白いと感じて、こういう目的で、やってるんだろうな、って。
相手を理解するという行為がどんなに難しいことか。たやすくできることではない。
わかりあえたら、それは幸せ、くらいに考えておくのがいいと思う。
まずは、相手の態度に目耳を傾けること。
そして、いつも笑顔でいること。